FC2ブログ

utopia

□ スポンサー広告 □

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


→ 「スポンサー広告」目次へ戻る
*    *    *

Information

□ 黎明のレクイエム □

第四章 貪欲な平穏は波瀾を欲した 2

【第四章 貪欲な平穏は波瀾を欲した】2


朱みを帯びた光が差し込む夕刻。
ランゼはホウライの名を借りて本を借りることのできる、街の図書館を訪れていた。
本を読むのは好きだった。本は知らないことを教えてくれて、知らない世界を思い描かせてくれる。
どこからか小さな子供の笑い声が聞こえて、ランゼは昼下がりの出来事を思い出す。幸せそうな親子の後姿を眺めて、嫉妬でなくただ純粋に羨ましいと感じたことを。
何気なく歴史の書架に視線を遣って眼にとまった本を手に取る。高貴な印象の深紅の布張り。その本を数頁めくって、飛び込んできた文字にランゼは釘付けになった。


夜も更けた静かな室の中で、ランゼはランプの頼りない灯りの下で本をめくっていた。
15年前に書かれたその本の題は、『覇王戦争』。
いつものように変わりなく訪れた図書館で偶然眼に留まり開いたその本。そこに自分の名前が出てきた。否、つづりまで自分と同じ名前が出てきた。
その人は、その男は、世の中に恐怖と殺戮を、戦争をもたらした忌み嫌われる悪の覇王だった。
『本当の家族じゃないって、解ってた』
物心ついたときから、たぶん気がついていたのだ。兄と自分は、きっとなにかが違うのだということに。だから、“本当の家族じゃないのよ”と突き放された5歳の冬、泣き叫ぶほど取り乱すほど哀しくなかった。むしろへんに納得できたくらいに。
それから母の接し方は酷くなった。ことあるごとに怒鳴り、痣になるほど強く叩いた。それはいつも兄がいないときにだけだった。父は見てみぬふりをし、同居していた叔父は母の味方だった。
兄は、解っていた。妹が理不尽な仕打ちを受けていることを。
それでも抗議をすれば逆効果だった。あらぬことを吹き込んだと罰を受けるのはランゼの方だ。
だからこっそりと家族の目を盗んで、傍にきてくれた。たくさんのことを教えてくれた。優しくしてくれた。
それだけが救いのように思えた。闇に差し込むたったひとつの光だった。
『お兄さま』
呼び名をなぞると胸が疼いた。
透き通った硝子玉のような翠の瞳。肩できれいに切り揃えられた、真っ直ぐのびる銀の髪。華奢な輪郭にすっと通った鼻梁の、人形のように整った貌立ち。名前を呼んでくれるときの、優しい声。“家族としてじゃなく、好きなんだ”と云ってくれた唇。触れ合わせた温もり。
家族の寝静まった深夜に、ランゼに宛がわれている狭くて暗い屋根裏部屋で過ごす短い時間が幸福だった。
それがいつまで続き、いつ終わるのかなんて考えたこともなかった。
母が、父が、優しくなってくれる日が来ることを予想できないように。
ずっと変わらないことだと思っていた。
叔父が梯子を軋ませて、屋根裏部屋に上ってきたあの日まで。あの日から、崩れ始めた。
憶えている、背に伝わる冷たい床の感覚。
気がつけばランゼはきつく瞼を閉じていた。本を押さえていた指が湿り気を持ち、紙に張りつく。
あの日からすこしして、ランゼは家の外の小屋に隔離された。どんな理由でだったか憶えていない。何に対する罰だったか憶えていないが、左手の手錠がランゼを縛りつけた。あの小屋を訪れたのは叔父だけで、あれは、どれくらいの刻が過ぎたのか数えられなくなった頃だった。子供の泣き叫ぶ声が、低い怒声が、女の半狂乱な声や、馬の足音が聞こえ始めた。そして鮮やかな橙の焔。
思い出すと息が詰まりそうで、ランゼは俯いた頭をふって意識を散らした。
そうやって終わるはずのなかった日常に終わりが来たのだった。
背中から湧き上がって首を絞めるように、身体に纏わりつくように悪寒のような感情が生まれる。
『逢いたい』
忘れたつもりを、気づかないふりをしていた記憶が感情が渦巻く。それを目の当たりにする。
『何処にいるの』
縋る想いで戻った街には、家には、姿はなかった。ほかに当てなどないのに。あの狭い空間だけで、繋がっていた。
『どうして、援けてくれなかったの』
それは誰にも届かない、叫び。
見捨てられたのだとか、それはいつのことなのかだとか、そんなことは考えたくもなかった。考えただけで壊れてしまいそうだった。深く考えないから、こうしてまた、誰かを信じていられるのに。
ランゼは本を傷つけてしまわないようそっと閉じると、机の端に追いやった。机の上では、血の気が失せるほど握り締めた拳が震えていた。








『ランゼ』
優しい穏やかな声が、名を呼んだ。
色の白い、けれど骨ばって男らしい手がランゼの頬へと伸ばされる。
頬を掠めた指先が、甘美な感覚を従えて背に回される。穏やかな、やわらかい熱。
突然、ひやりと硬質な冷たさが襲った。
『ランゼ』
低く潰れたような声が吐息混じりに響く。おぞましい声だった。




眼が醒めると、ランゼはいつものように柔らかな布団の感触を確かめた。平穏な日常なのだと確かめて身を起こすと、机の上、端に追いやられて深紅の布張りの本が在った。これもまた現実なのだと教える象徴。
悪寒がして抱き締めた肌は汗ばんでいる。
何度も視線を外しては追うのを繰り返しながら、ランゼは毛布の下を抜け出し身支度を整えた。
居間に向かう途中、通りかかったリィザの室の扉が半分ほど開いていた。ふと覗き込むと寝台に寝乱れたままの寝具が放置されたまま、主はもう出て行った後のようだ。
いつものように居間に足を踏み入れれば、甘くまろやかな香気が漂う。
「おはようございます」
鍋に向かうホウライの背に声をかけると、彼はちょうどスープをよそったところの器を手にふり向いた。
「おはよう、ランゼ」
ランゼはふと居間を見回して、室にもなかったリィザの姿がないことに気がつく。まさかと思って時計を見遣ったが、いつもとそう変わらない時刻だ。
器を受け取りに彼に近寄りながら、訊ねる。
「リィザは……」
「今日はもう張り切って出て行ってしまったんじゃよ。可愛い娘でも見つけたかな。そうだといいんじゃが」
ホウライは穏やかに目尻を垂らし、ランゼにスープの器を差し出した。青菜と蕪の浮かぶ、ミルクのスープ。
「そう、ですか」
ランゼがありがとうございます、と云いスープを受け取って席に着くと、まもなくホウライも自分の器を手に椅子を引いた。
スープを口に運び呑み込めばじわりと甘い温かさが喉を伝って胃に落ちていくのが解った。もうそろそろ冬が訪れる気配を感じさせる肌寒い朝に心地良い温かさだ。
何度か掬って喉を潤し、柔らかいパンをひとかけら千切って、ランゼはふと手を止めた。
「……あの」
ちょうど匙を置こうとしていたホウライは、声に出さず視線だけで返事をする。
「……父や、母や、兄から、連絡は……ないんですよね」
動揺しないように引き締めた表情は強張っていたかも知れない。ホウライは大袈裟に哀しんだり残念がったり同情めいた表情を浮かべるでもなく、ただゆっくり首をふった。
「そう、ですか」
無事だろうか。そうであって欲しい。自然とそんな感情が浮かんだ。
憎んだことなんてなかった。そう、思う。どんなに忌み嫌われようとも酷い仕打ちを受けようとも、援けてくれなくても、生まれたのは哀しみで、憎しみではなかった。
ランゼは千切ったパンを口に運ぶでもなく指先で弄び、ホウライの方は向かずに声を紡いだ。
「……先生は、私の名前、……どう思いますか」
静寂に、声が響いた。互いの息遣いまで聞こえそうな、静かな時間。
すこしのあと、ホウライのしわがれた声がそれを破る。
「きれいな名前じゃよ」
ランゼの唇から、笑みが漏れる。それは喜びでも照れでもない、嘲笑。
「……ライナスが、君の話をするとき云っておったよ。妹の名前は、大悪党と、悪の覇王と呼ばれる男と同じだけど、あの娘と同じなら、きれいな名前だって思えるんだと」
ランゼは、俯いた視線をあげることができなかった。どんな表情をしてホウライを見返したらいいのか、解らなかった。
嬉しい、とも違う。哀しいでもない。
彼は知っていたのだ。優しい声で、呼ぶ名の意味を。知っていて、伝えないで、呼んでくれた。
悔しいようで、切なくて、愛しい、ような。うまく表す言葉を知らないことがまた悔しくて。視界がぼやけるのは、悔しさのためだと思いたい。
「ランゼ。きれいな名前じゃ」
ホウライはそう云って空になった器を手に立ち上がった。
「今日は良い天気になりそうじゃ。儂は用があるから、リィザと一緒に外で食べてみたらどうかの」
のんびりとした声が抱える優しさに、援けられている、そうランゼは思った。




→ BACK
→ NEXT

スポンサーサイト


→ 「黎明のレクイエム」目次へ戻る
*    *    *

Information

!-- FC2カウンター ここから -->
にほんブログ村 小説ブログへ
↑にほんブログ村へ
←黎明のレクイエム、エントリー中。ポチッと優しさわけてくださると感激。
←気に入ったら拍手してやってください。お礼SS【胡桃色の記憶】
+
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。